太田隆次の人事講座

武士道とは死ぬことではありません [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2012/03/23(金) 09:00rss


 ここ十数年、日本の経済界や学界で日本人の心の淵源である武士道が見直され、雑誌でも特集が組まれたり、解説書も数多く発刊され、武士道ブームが続いています。

武士道というと、よく「葉隠」の有名な冒頭の「武士道といふは死ぬことと見つけたり」が、軍国主義に利用され国のために潔く死ぬことだと美化されたため、武士道には現在でも暗いイメージがあります。

「葉隠」は佐賀藩士山本常朝が隠居後、主君に奉仕する武士の心得を後輩に向けて述べたものですが、専門学者によると、書かれた時代の背景と全文の文脈から「死ぬことと見つけたり」とは「死ぬ覚悟で仕事にあたれ」が本当の意味です。

時代の背景とは、江戸時代の武士は平和が続き本来の使命である「自分の生命をかけて戦う」ことがなく、「平和ボケ」していたので、改めて「武士らしく命をかけて働け」とゲキを飛ばしたということです。

現代でも、苦しい決断や行動を「死ぬ思い」「必死だった」「死んでもいい」と語るのと同じです。本当に死ぬつもりはさらさらありません。「常時、死んだ積りで働け」というその部分を見てみましょう。

「(中略)常住死身に成りている時は、武道に自由を得、一生落ち度なく家職を仕課すべき也(まっとう出来るのだ)」とあり、書物の冒頭の「死ぬことと見つけたり」は一生持ち続けるべき「心構え」であって、文字通り「死ぬことが武士道」の意味ではありません。

なお、「葉隠」では「恋の至極は忍ぶ恋也。主従の間などもこの心にて澄む也」つまり、忍ぶ恋と同じく、「忠義は、殊更に、主君に言葉に言い出すことなく一生、心の中で思い続ける方が、言うに勝る」と粋なことを説いています。草花の葉の間に隠れるように内に秘めた心のあるべき有様を、「葉隠」という書名にした、と解されています。