太田隆次の人事講座

際立つ平清盛の調整力 [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2012/06/20(水) 09:00rss


 NHKの大河ドラマの平清盛のイメージは「平家にあらずんば人にあらず」の「平家物語」で「清盛=悪人」で凝り固まっている現代人には違和感があります。
 しかし、史実を公平に丹念に追うと平清盛の実像は決して「悪人」ではなく、平家の棟梁として武家の世の理想を実現した大人物であったことが分かります。そのプロセスを現代の人事の目で見ることにしましょう。

 清盛の成功をコンピテンシー風に言えば、
(1)取り巻く環境の変化(摂関政治の終わり)を読み取った「先見力」
(2)武家の世を作るという大目標をたて実現した「達成力」
(3)利害関係者それぞれに気配りした「調整力」
 の三点セットになるでしょう。

(1)、(2)は、並みの武将なら当然のことですが、清盛はその後、武力や権力を使わない(3)の調整段階で関係者にいつも気配りしていたといわれます。

 信長は(1)と(2)はよかったが(3)が駄目だった、秀吉や家康は(1)も(2)も(3)にも長けていたといえるでしょう。

 たとえば、平治の乱の後、経営陣でいえば会長派と社長派の争いであった後白河上皇派と二条天皇派(この二人は親子です)のそれぞれの貴族を巻き込んだ対立を決着がついた後も放置せず、上皇側にも天皇側に寺院を建立、寄付し、双方にご機嫌伺いを絶やさず結びつきを強めていました。

 清盛のこうした気配りを、愚管抄(鎌倉時代初期1220年頃、天台宗慈円著の歴史書)は「よくよく慎みて、いみじく計らいて、アナタコナタしける」(あちらともこちらともよろしくやっていた)と冷やかしています。

 何事もいつの時代も「戦い済んで日暮れて」の後始末の方が大変ということです。