太田隆次の人事講座

「印象派」の早わかり [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2013/01/21(月) 09:00rss


 フランスの画壇で19世紀に芽生えた「印象派」の画風は、モネ、ルノワールなどの絵のように、
それまでの宮廷画家などの肖像画や宗教画とは明らかに違います。どう違うのか、なぜ違うのかを手短に説明するとこうなります。
 
19世紀後半は、政治的にも経済的にも社会的にもヨーロッパは激動の時代でした。
それがフランスの画家達にも影響を与えて「印象派」が生まれました。

その激動とはー
 
1.汽車の発明
 汽車の発明で、画家たちはパリを離れて田舎のアルルでもプロバンスでもどこへでもいけるようになり、
 描く対象が無限に広くなりました。
 
2.市民が顧客に
 中世の教会が顧客の「教会おかかえ画家」や宮廷や貴族が顧客の「宮廷おかかえ画家」は、
 フランス革命により新しい「市民層を顧客とする画家」になり、もはや宗教画や肖像画や写実的な風景画は好まれなくなり、
 顧客の欲する自由奔放なテーマが好まれるようになりました。
 折悪しく、その頃フランスに留学していた黒田清輝など日本人画学生たちは、一体どちらを学ぶべきか右往左往したのです。
 
3.仲間を作った
 新しい画家たち(マネ、モネ、ルノワールなど)は、「脱」伝統画の情報交換のため仲間を作って切磋琢磨しました。
 画家だけでなくゾラのように文学など他の分野の仲間も加わって、益々「脱」伝統に走りました。
 
4.対象の多様化と抽象化
 神話や聖書や王族の肖像を描くことがなくなり、代わりに家族、機械、家屋、畑、夜景など、描く対称が無限に広がり、
 かつてのように「そっくりさん」に描くことは「野暮」で、イメージ、心の動き、インスピレーションなどを抽象化して
 描き込むことの方が、「ハイカラ」であり「高度な芸術性」があると画家も社会も思うようになりました。
 
5.画家が個性を
 マネは黒色をベース、ドガは踊り子の暗い面、モネは太陽光、セザンヌは自然の荒々しさの強調、
 ゴッホは叩きつけるような絵の具、ゴーギャンはエキゾチックなタヒチの女性、ルノーワールはぼかし絵など、
 写実性を無視した個性の主張こそが画家のセールスポイントになりました。