太田隆次の人事講座

平安の財政改革 [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2013/12/20(金) 09:00rss


平成の財政改革を桓武天皇も平安時代にやっていました。
 
桓武天皇は25年間の在位期間中に、当時としては革新的な数々の政策を断行しました。しかし、奈良の保守的な仏教勢力や奈良に住みついた官僚と決別するために、長岡や平安への二度にわたる遷都や、東北の反乱軍の蝦夷征伐で、その費用を負担する国民は疲弊の限界に達していました。
 
そこで桓武天皇は805年12月7日に、後世「天下徳政論争」と言われる、今でいう「事業仕分け」を行なったと日本後記にあります。
 
この日、重臣の藤原緒継(32歳)と菅野真道(65歳)に公開で政策論争をさせました。若手の新進気鋭の藤原緒継は舌鋒鋭く「目下、天下の苦しむ所は軍事と造作なり。この両事を停むれば、百姓=国民は安んぜん」、つまり軍事費と公共事業の二つを廃止すべきと堂々と主張しました。これに対し保守長老派の菅野真道は、「抵抗勢力」として廃止に異議を唱え、最後まで反対しました。
 
桓武天皇の裁定は「帝(みかど)、緒継の議を善しとし,即ち停廃に従う。有識、之を聞きて感嘆せざるなし」で、平安時代の事業仕分け論争は決着しました。有識とは列席していた高官たち一同です。
 
平成より平安の財政改革の方がよほどしっかりしていたようですね。