太田隆次の人事講座

奈良時代の身分証明は黒子(ほくろ)や傷痕で [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2014/05/23(金) 09:00rss


今はハイテク時代で身分証明はIDカードで出勤記録から社内給食まで一枚で何もかも済ませる時代です。
江戸時代は領主の発行した通行手形がパスポートの役を果たしていました。では奈良時代はどうだったのでしょうか?
そもそも身分を証明することが必要だったのでしょうか?

奈良時代は厳然たる、生まれながらの身分制度の社会で、
「良人」と呼ばれる一般公人と、「賤」と呼ばれる奴婢などの階級があり、
一般公人は租庸調を取り立てる為に、奴婢は逃亡を防ぐ為に
一家全員の名前、年齢, 階級(良民の男子は正丁と呼ばれた)のほか、
黒子(ほくろ)や傷痕が身体のどこにあるかを記した戸籍簿を作りました。

今でも正倉院には当時の戸籍簿が多数残されています。年一回の正倉院展で展示されています。

 例えば、一部ですが次のような記録があります。
当時は大家族主義で奴婢などの使用人も一緒に住んでいましたから、
同じ家族で10人、20人あるいは30人という戸籍も珍しくありませんでした。
 
戸主 従八位勳三等 出雲臣真足
年五拾壱歳 正丁
  佐太忌意売
年五拾五歳 丁妻 右頬黒子
  出雲臣首名
年拾壱歳  小子 右頬疵

この「右頬黒子」、「右頬疵」が、今でいう身分証明のIDの役目を果たしていたのです。