太田隆次の人事講座

東海林(しょうじ)と上司(じょうし)は語源が同じ [目指せ!人事の雑学王]

投稿日時:2014/09/24(水) 09:00rss


東海林を「しょうじ」と呼ぶわけ 
往年の名歌手東海林太郎は「しょうじたろう」と読み、現在、「東海林」という人名は普通「しょうじ」と読みますが、
不思議に思ったことはありませんか?

そのルーツは奈良~室町時代の荘園にあります。

この時代は、荘園の現地管理者のトップの公式名を「荘司」(しょうじ)と称していました。
所が、この役職は「東海林」(とうかいりん、とうかいばやし)という家名の一族が世襲することが多く、
いつしか「東海林」を役職名の「しょうじ」と呼ぶようになって今日に至っています。
 
上役を上司(じょうし)と呼ぶわけ
現在、上役のことを「上司」といいますが、これもルーツは、奈良・室町時代の荘園管理者の役職名の一つです。
明治初期に制定された「市制及町村制」に「上級の官庁」「上位役職」を指す意味で「上司」と公文書に使われたのが最初で、
その後、もっぱら上役個人を指す通称となりました。「私の上司は・・」の「上司」は、平安時代の役職名だったのですね。

奈良・平安時代の公用語「荘司」(しょうじ)は現代にまで生き残って「東海林」という人名になり、
同じく公用語の「上司」も現代の「上役」の意味になって、
1200年後の今日まで日本歴史の生き証人としてしぶとく生き残っているのです。
   
豊臣秀吉が荘園を廃止し、東海林も上司の役職も消えた
 ところで、豊臣秀吉は「検地」により荘園を廃止しました。
奈良、平安時代からの荘園の多くは寄進や収奪などで貴族や寺などの領地になり、
農民からコメなどを取り立てるだけの制度に変わっていました。

貴族や寺は直接支配しないで、不在地主として現地の有力者たちに荘司や名主などの役職を与えるという制度が出来上がり、
戦国大名たちは折角手に入れた領土からの貢物が、荘園の不在地主や、
管理している現地有力者の収入源と化しているのに不満がありました。
 
秀吉は「検地」により荘園すべてを大名の領地とし、不在地主や農民との間に介在していた荘園の管理者すべてを追放しました。かくて東海林や上司の役職も消えて、「しょうじ」「じょうし」などの「読み」だけが残りました。