太田隆次の人事講座

格差問題は奈良・平安時代の昔から [人事の教養]

投稿日時:2014/12/22(月) 09:00rss


発掘された食器の落書きが物語る格差への恨み

 去る10月7日の日本経済新聞に、「鳥取市の遺跡で「位能上」(くらい・よく・あがれ)と判読できる文字が記された
平安時代前期(9世紀)の墨書き土器が出土した」という記事と写真が掲載されました。

この土器は直径12.8センチ、高さ4.8センチで表と裏に「位能上」と墨で書かれ、
食器として使われていたらしく、一部は欠けています。
 記事と写真はこちらをご覧下さい。(PDF)
 
律令制の人事制度は現代の職能資格制度と同じ(等級と職名の二本立て)
 奈良・平安時代は律令制で、人事制度は「官位制」とよばれ、縦の欄に下から上に位階(等級)、横に官職(職務)と、
現在の職能資格制度と同じ姿をしていました。
全体の姿はこちらをご覧ください(PDF)。
(拙著「万葉時代のさらりーまん」76~77 ページより)
 
初任格付けから格差
 学歴も身分もない一般人はこの表の最下段の「少初位下」(しょうそいのげと読みます)からスタートして、
(最上段は一品~四位ですがこれらは皇族の親王クラスの指定席でこれらは除き)一般人の最上段は正一位で、
スタートの「少初位下」から数えて34階目です。制定した時(701年の大宝律令)は、
オープンの能力主義でしたが、実際は貴族や家柄や学歴などで決まり、
殆どの庶民は最下段の「少初位下」から這い上がり、晩年になって四番目の「大初位上」にたどり着くのが関の山でした。
 
木簡に残る勤務評定に見る格差
 平城京から出土したある木簡に書かれた勤務評定に
「少初位下 高屋連家麻呂 年五十 右京 六考日并千九十九 六年中」とあり、
「少初位下(しょうそいのげ)の職位にある、高屋連家麻呂(たかやのむらじやかまろ)は、
年令五十才で本籍は右京にあり、六年間の考課年数の出勤総日数は
併せて千九十九日(つまり一年平均出勤日数は百八十三日ということ)で、
六年間の勤務評定は「中」であった」という意味です。

 過去六年間の勤務評定が「中」だと、一階級昇進することになっていましたから、
彼は五十才にしてやっとその上の「少初位上」に到達したのです。

 貴族や官僚の子弟などのキャリア組は二十代後半から三十代前半でずっと上の「五位」に昇進していましたから、
たたきあげノンキャリアはこの格差に悔しい思いをしていたに違いありません。 

万葉集に残る格差への恨み
 個人の能力ではなく、生まれた家柄や身分による格差がどんどん広がり、大多数の下級役人の不平不満が、
食器への落書きや歌にまで詠まれたのです。

 万葉集にこういう歌があります。

 此の頃の、我が恋力(こいぢから)記し集め、功(くう)に申さば、五位の冠(三八五八番)
  (この頃の私が恋にかけた労力を文書に書き集めて功績として申請したら、五位に軽く昇進できるくらいだ)
  
 此の頃の、我が恋力給わずは 京兆(みさとづかさ)に出でて、訴(うれ)へむ(三八五九番)
  (この頃の私の恋にかけた労苦に対し位階を下さらなかったら、中央に訴えますよ) 

格差問題は奈良・平安時代から続いているのです。